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高知地方裁判所 平成6年(ワ)65号 判決

原告

甲野太郎

(以下「原告太郎」という。)

乙野花子

(以下「原告花子」という。)

甲野三郎

(以下「原告三郎」という。)

右三名訴訟代理人弁護士

藤原充子

小泉武嗣

被告

甲野次郎

右訴訟代理人弁護士

三木春秋

主文

一  原告らの請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一  原告らの(主位的)請求

甲野尚次の嘱託による昭和六三年八月二六日高知地方法務局所属公証人上野智作成の同年第七四五号遺言公正証書による遺言が無効であることを確認する。

第二  事案の概要と争点

一  基礎的事実関係(争いのない事実及び証拠上明白な事実)

1  原告らと被告は、別紙相続関係図に記載のとおりの親族関係を有する兄弟姉妹である。

2  原被告の父甲野尚次(以下「尚次」という。)は平成四年一二月二三日死亡し、原告らと被告はいずれもその相続人である。

3  尚次の遺言書として、同人の嘱託にかかる昭和六三年八月二六日高知地方法務局所属公証人上野智作成の同年第七四五号遺言公正証書(以下「本件遺言書」という。)が存在しており、その要旨は左記のとおりである(以下、遺言の個々の項目については、各項目の頭に便宜上付した番号に従い「本件遺言【1】項」又は単に「【1】項」等と表示し、各項目を総じて「本件遺言」という。)。

遺言者は、

【1】 遺言者の所有する財産全部を被告に相続させる。

【2】 祭祀の主宰者に被告を指定する。

【3】 遺言執行者に被告を指定する。

【4】 原告太郎には、約二〇年前に遺言者所有の土佐山田町栄町所在の田約一反一三歩を二分割し、そのうち一六〇坪を贈与してあり、先月にも現金三〇〇万円を分け目として渡してあるので、相続させない。

【5】 原告三郎には、前記土地のうち残りの一五三坪を同時に贈与してあるほか、約一〇年前にその生業のためダンプ代金として五〇万円、ハイヤー代金として一〇万円、約三年前に喫茶店建設の鉄骨代として二〇〇万円、三男の子供の事故のときに三〇万円、それぞれ贈与してあるので、同人にも相続させない。

【6】 原告花子には、その結婚のときに田五反歩相当の金額の嫁入り支度をして渡してあるので、同人にも相続させない。

【7】 遺言者の四男甲野四郎には、約一〇年前に同人が現住している場所の土地約三〇〇坪を贈与してあるので、同人にも相続させない。

二  争点等

以上の事実関係の下で、原告らは、次のとおり主張して本件遺言が無効であることの確認を求めた。したがって、本件の争点は、以下の各主張が理由があるといえるか否かである。

1  遺言能力の欠如

尚次は、本件遺言書が作成された当時、老人性痴呆・脳動脈硬化症・脳梗塞に羅患し意思能力がなかったから、本件遺言は無効である。

2  民法九六九条二号〜四号所定の方式違反

(一) 本件遺言は、昭和六三年八月二六日上野公証人役場で公証人上野智(以下「上野公証人」という。)に対しされたものであるところ、右遺言の場には尚次のほか被告も在室しており、前記の病気を患っていた尚次は、公証人の誘導的な質問に対し、被告と相談し合いながら遺言内容を伝えて本件遺言を完成した。したがって、遺言者が遺言の趣旨を公証人に口授したとは言えず、本件遺言は無効である。

(二) また、上野公証人は、筆記した遺言内容を尚次に読み聞かせておらず、また、尚次は筆記の正確なことを承認していないから、この点からしても本件遺言は無効である。

3  民法九七四条三号違反

本件遺言の場には、推定相続人であって、かつ、受遺者でもある被告が立ち会っていたから、本件遺言は民法九七四条柱書及び三号に違反し無効である。

第三  争点に対する判断

(以下〔 〕内は当該事実の認定に供した証拠の表示である。)

一  争点1(遺言能力の存否)について

1  本件遺言当時あるいはその前後に医師や同居の家族として尚次に身近に接していた人達や、本件遺言書の作成に現に携わった公証人の供述等によれば、尚次の当時の精神・身体の状態は次のようなものであったことが認められる。

(一) まず、本件遺言当時尚次の主治医であった北村潔医師(北村病院)によれば、〔同人の証言及びその作成にかかるカルテ(甲一一、一二号証)〕、尚次は、昭和五四年五月から平成元年八月までの間、心房細動・鬱血性心不全・胃潰瘍・脳梗塞・脳血栓症・喘息様状態・高血圧性脳症等の病名により、継続的に北村病院に入通院して同医師の診療を受けていたが、その間、尚次の精神状態(判断力や意思疎通の能力)は―合計四回にわたる入院時も含め―脳梗塞の急性期を除いては年齢相応(並みの八〇歳程度)のものであって、特段異常は見受けられず、いわゆる老人性痴呆の症状も全く認められなかったこと、これを本件遺言がされた昭和六三年八月ころに限って見ても、当時尚次は、主に喘息と心臓の治療を受けるため、かなり期間を開けて通院を続けている状態であって、治療についても投薬と食事の指導のみが行われており、持病の高血圧も軽快していたこと、以上の事実を認めることができ、更に、北村医師は、医師の立場からの判断として、当時、尚次は自発的に遺言をする意思の力を有しており、また前記内容程度の本件遺言を行うだけの判断力も充分有していたものと考えられると述べている。

(二) また、本件遺言後の平成元年九月から尚次が死亡するまでの間同人の診療を担当していた川田真也医師(川田内科)によれば〔同人作成の診断書(乙一号証)及びカルテ(乙一三〜一五号証))、尚次は、平成元年九月二一日脳梗塞を発症し、体の左右に麻痺を残したが、意識状態には著変はなく、昼間は介助歩行でトイレを使用し、また座ってテレビを見ることを日課として経過していたこと、その後死因となった脳梗塞を再発し心不全悪化を発症するまでの約四年間往診加療を続けていたが、尚次には死亡の約一年前ころから失見当識、記銘力の低下等の痴呆状態を認めたのみであったこと、以上の事実を認めることができる。

(三) 更に、本件遺言当時尚次と同居していた被告によれば〔同人の法廷供述及びその陳述書(乙一一号証)。なお、原告らは被告の人格やその供述内容を悪し様に非難しているが、当裁判所は、被告の供述は、客観的証拠ともよく符合する自然かつ合理的なものであって、供述態度も真摯・誠実なものであり、その信用性は十分であると考える。〕、尚次は、昭和六一年五月に当時同人の面倒をみていた四男四郎が死亡した後、二男の被告を頼るようになり、当時居住していた隠居家から約二、三〇〇メートル離れた被告の旧宅に自転車で訪れてはそのまま泊り込んだり、また隠居家で寝たりの生活を繰り返していたが、昭和六三年に被告の一家が一時的に西山アパートに引っ越した後も、ますます被告に依存するようになって、昼間は隠居家に居て畑仕事などをし、夜は右西山アパートの被告方で寝る生活をしていたものであって、その後平成元年に被告が現在の住家を新築した後平成四年一二月の死亡に至るまで被告の右新宅において被告一家の世話になっていたこと、本件遺言は、被告が右西山アパートに転居して夜間尚次と同居する生活をしていた昭和六三年八月にされたものであること、晩年の尚次は、前述のとおり老人性の病に羅患し医者の世話になることが多かったとはいえ、物忘れがひどくなって惚けたのではないかと思われるようになったのは平成三年暮れころからであり、それまでは年相応の判断力を有していたこと、本件遺言書が作成された昭和六三年ころは精神能力に何ら異常を感じさせる点がなく、本件公正証書遺言についても、尚次が将来の兄弟間の遺産争いを慮り自発的に言い出してしたものであり、尚次は、自ら高知家裁に赴いて公証人一覧表〔乙三号証〕をもらって来るとともに、その一覧表の冒頭に上野公証人の氏名・役場の所在地・電話が記載されていたことから、自ら上野公証人役場を遺言の場と定め、被告に依頼し自動車で同人に同役場に連れて行ってもらうとともに、ビルの二階にある同公証役場に一人で階段を昇って赴いたこと、上野公証人に対する本件遺言の口授に際しても、尚次は、同公証人からの問いに対してほとんど単独で応答しており、ただ途中に土地の名前について、被告(同役場入口近くの長椅子に腰掛けてその様子を眺めていた。)に対し、尚次が「宝町だったか、栄町だったか」と確認を求め、被告が「それは栄町です」と答えたことはあったものの、それ以外に被告が上野公証人と尚次との遣り取りや尚次の口授に口を挟んだりすることはなく、本件遺言内容は全て尚次が自発的に口授したこと、以上の事実を認めることができる。

(四) 次いで、本件遺言書の作成に携わった当の上野公証人の証言によれば、同公証人は、年間に約一五〇件の公正証書遺言を扱っていることに加え、本件遺言は六年以上も前にされたものであるところから、本件遺言については、もはやその具体的作成状況について定かな記憶はなく、特に印象的なできごととして、遺言者が遺留分の関係を心配して特にその関連の事柄をくどくどと述べていたことのみが記憶に残っているだけであるが、一般的には、同公証人は、高齢者が公正証書遺言を行おうとする場合には、必ず事前にその精神状態を窺うような質問を試み、遺言能力を有することを確認の上、遺言公正証書の作成に応じているところ、本件については、遺言者の精神状態について特に印象に残っているような点はなく、また、遺言者の口授の仕方等についても特段問題視したような記憶もなく、遺言公正証書の作成に応じていることからすると、その遺言者の遺言能力には問題はなかったものと思われる旨述べていることが認められる。

2  以上認定・判断した諸事情、すなわち、(1) 医学的な観点から見た場合、尚次は、本件遺言当時や少なくともその後の約一年間は、年齢相応の判断力を有していて、その精神状態には特段問題はなく、本件遺言についてもこれを行う意思の力もあれば判断力も有していたこと、(2) 同居の家族の目から見ても、本件遺言当時、尚次は年相応の判断力を有しており、本件遺言についても自発的に言い出し、自ら公証人も選定の上行ったものであり、公証人との遣り取りや遺言内容の口授自体にその意思能力を疑わせるような事情は全くなかったこと、(3) 本件遺言書を作成した公証人自身、本件遺言に関する記憶は定かではないものの、同公証人が遺言公正証書を作成する際の一般的取扱いからして、本件遺言に際して尚次が意思能力を欠いたまま本件遺言を行ったとは考えにくいこと等の事情を総合判断すると、本件遺言当時、尚次が遺言能力を有していたと確認するに十分である。

3  もっとも、これに対し、原告らは、① 尚次は、本件遺言当時、既に惚けていて判断能力がなかった、② 尚次は、被告夫婦を嫌っていたから、本件遺言【1】〜【3】項のような遺言をするはずがない、③ 本件遺言中【4】〜【7】項は事実に反する全く出鱈目な記載である、【1】〜【7】のような記載が本件遺言書中に存在しているのは、当時尚次が遺言能力を欠いていたからである、などと供述している〔原告三名の供述及び各陳述書(甲二〜四号証、甲四三〜四五号証)。以下の判断中、単に「供述」という場合には、各陳述書中の陳述内容も含むものとする。〕。 よって検討するに、

(一) 原告らの供述は、いずれも曖昧で前後一貫しない部分が多く(果ては法廷での供述がその陳述書と矛盾している場合もある。)、不自然・不合理な点が少なくないなど、基本的にその信用性には疑問がある。

ことに右①の供述は、客観性に富む前記北村医師の証言や川田医師の診断書等と相容れないものであって、到底信用することができない。また、右②の供述についても、尚次が亡くなるまでの四年間を被告の下で暮らしており、あえて長男である原告太郎の世話にはならなかったという動かし難い事実(この点は原告らも認めている―但し、その点につきあれこれ弁解しているが、取るに足りない。)に照らしても、採用することができないことは明らかである。

(二) 他方、前記③の点については、本件遺言【4】〜【7】項は、本件遺言書の本質的事項ではなく、後日の遺産相続を巡る紛争を慮って入れられた付加的・注意的条項にすぎないとはいえ、仮にこれらの記載が原告らの供述するように、真に全く出鱈目な内容であるならば、その記載自体かなり具体的であるだけに、尚次の遺言能力等に疑問を生じさせ得る余地はあろう。

しかし、ここで改めて注意しなければならないのは、(a) 尚次は、当時八五歳の高齢(明治三六年一月二九日生)であって、意思能力には何ら問題はなくとも、いわば加齢現象ともいうべき記憶保持能力の減退や記憶内容自体の変容は十分あり得るところだということである。これらに起因して、尚次が過去の事実につき多少の記憶違いや思い違いをしている可能性が存することを否定することができない。(b) しかも、ことが親族間の贈与であるだけに、【4】〜【7】項に記載されている個々の贈与の事実については、贈与の対象・趣旨・価格等につき、尚次側の認識と各原告側の認識とが相違していたこともあり得ることだという点も指摘することができよう。

そこで、このような点を考慮に入れて考えると、本件では、前述のとおり、少なくとも医学的見地や日頃の生活状態からは尚次の意思能力には何ら問題のない状態であったという事実が認められ、遺言能力の存在が強く推認されるのであるから、前記各条項を全くの出鱈目であるとする原告らの供述やこれに沿う証拠関係が、右推認を覆すに足りる程度に十分なものであるか否かが検討の対象とされるべきである。

そこで、このような見地から、以下、【4】〜【7】項につき個別的に検討を加える。

(1) 本件遺言【4】項(原告太郎関係)について

ⅰ 土佐山田町栄町の田一六〇坪の贈与(併せて、原告三郎に対する同町の田一五三坪の贈与〔本件遺言【5】項〕)について

本件遺言【4】【5】項に記載された「土佐山田町栄町所在の田約一反一三歩」が別紙物件目録(1)及び(2)に記載の各土地(以下、同目録記載の土地については、同目録の番号に従い「(1)の土地」等と表示する。)を指すものであることは証拠上当事者間に争いがないところ、原告太郎と原告三郎は、右各土地は、もともと原告太郎が自分の金で買い受けたものであって、当初から同原告の所有であり、その土地の半分を原告三郎に贈与したのも尚次ではなく原告太郎であるから、右各土地に関する【4】【5】項の記載内容は誤っている旨供述している。

そこで、まず右(1)(2)の各土地に関する登記簿上の所有権移転経過等を見ると、証拠〔甲五〜一〇号証〕によれば、次のようなものであることが認められる。

① 昭和三七年四月四日…(1)(2)の土地につき、いずれも、同日売買を原因として大石章から原告太郎に所有権移転登記

② 昭和五三年一月七日…(1)(2)の土地は合筆されて(3)の土地となり、同日(3)土地は更に(4)の土地と(5)の土地とに分筆

③ 昭和五三年一月一八日…(5)の土地につき、田から宅地に地目変更の登記

④ 昭和五三年一月一九日…(5)の土地につき、真正な登記名義の回復を原因として原告太郎から尚次に所有権移転登記

⑤ 昭和五四年二月一九日…(5)の土地につき錯誤を原因として右④の登記の抹消登記がされるとともに、同日、真正な登記名義の回復を原因として原告三郎に所有権移転登記

(その後の登記名義の移転等は本件と直接関係がないので省略)

これによれば、右①②⑤の登記内容等は前記原告太郎らの供述に沿うものであるし、また、①の登記原因である売買については、原告太郎に宛て代金受領を証する売主側作成の書面〔甲三三〜三五号証〕もあるから、原告太郎らの供述はあたかも相応の裏付けを有するかのごとくである。

しかし他方、被告は、この点につき、(1)(2)の各土地は、尚次において、原告太郎と原告三郎が商売をする土地を買ってやらねばならないとの理由から、尚次の所有していた(6)〜(8)の土地(当事者のいうシオクサリの田)を売って得た代金で購入し、間もなく宅地化して、これを折半の上それぞれを右原告二名に贈与したものである、したがって(1)(2)の各土地は尚次の所有していたものであって、右土地に関する【4】【5】項の記載は真実である旨供述しているので、改めて証拠関係を検討すると、

(a) (1)(2)の各土地は、主として前記シオクサリの田を売却して得た代金により購入されたものであることは原告太郎も同本人尋問において認めているところ、右(6)〜(8)のシオクサリの田は、売却当時、いずれも尚次の所有名義(原因―自創法の規定による売渡)であったものであり〔乙七、九、一〇号証〕、この点からすると―被告の供述どおり―尚次がその所有する田を売って(1)(2)の各土地を購入した可能性も濃厚であること(なお、原告太郎は、右シオリクサリの田は自ら出捐の上、名義のみ尚次の名を借りて購入したものである旨供述しているが、何らの客観的裏付けもない上、証拠上窺われる同原告の当時の年齢・職業や自創法による売渡し制度の趣旨・内容等にかんがみ、併せて前記のような同原告の供述の一般的信用性にも照らすと、右原告太郎の供述は信用することができない。)、

(b) 現に、現に原告三郎は、同本人尋問(第六回期日)において、(1)(2)の各土地を買い入れた当時既に、尚次から、その土地の半分をいずれ同原告にやると聞かされていた旨供述しており、この供述内容は、(1)(2)の各土地については、その登記簿上の所有名義のいかんにかかわらず、購入当時から尚次が所有者として振る舞っていたことを窺わせるものがあること、

(c) 前記②〜⑤の登記内容によれば、(1)(2)の各土地の合分筆とほぼ同時に(5)の土地((3)の土地を約半分に分筆したもの)につき「真正な登記名義の回復」を原因として原告太郎から尚次に対し所有権移転登記がされており、更に、そのまさに一年後に右尚次への移転登記が抹消されると同時に原告三郎への所有権移転登記がされていることが認められるところ、右尚次への所有権移転登記及びその抹消登記の手続には尚次と原告太郎の関与が不可欠である(登記共同申請の原則)上、合分筆と尚次への所有権移転登記、抹消登記と原告三郎への所有権移転登記とがそれぞれ同時あるいはほぼ同時期にされていることをも併せ考えると、尚次は(1)(2)の各土地の合分筆や右土地の約半分を占める(5)土地の所有各義の回復、及び原告三郎への所有権移転登記につき、いずれも深く関与するとともに(特に後者は、前記(b)に記載の原告三郎の供述にも沿うものである。)、原告太郎もこれを容認していた事実を容易に推認することができること、

(d) なお、前記甲三三〜三五号証は、あたかも原告太郎自身が(1)(2)土地を買い受けたことを証するかのごとくであるが、右各書証は、本訴提起後原告太郎の依頼に応じて作成されたものにすぎない上、右各書面上「売主」と記載されている者と登記簿上の売主とが食い違っているなど、その信用性はかなり疑わしいことなどの諸事情を窺うことができる。

そこで、以上見たような(a)〜(d)の各事情を総合的に考察すると、(1)(2)の各土地については、尚次が、当初からいずれは原告太郎と原告三郎とに贈与する趣旨で、その所有していた前記シオクサリの田((6)〜(8)の各土地)を売って購入したものであり、とりあえずは原告太郎名義で所有権移転登記を経由した(いきなりその半分を原告三郎名義で登記すると、同原告がすぐに売却してしまう可能性のあったことは、原告太郎も認めている。)が昭和五三、四年ころには、尚次が自ら合分筆を実施して(4)土地と(5)土地とに概ね折半の上、(4)土地を原告太郎、(5)土地を原告三郎にそれぞれ贈与した可能性が濃厚に窺われるのであって、この点で前記被告供述は十分な裏付けを有すると言うべきである(反面、原告太郎らの供述に沿うかのような前記証拠関係〔原告太郎名義の登記と領収証等〕については、右(a)〜(d)の各事情に照らし改めてその証拠価値を検討すると、結局、裏付け証拠としての力はさほど大きなものではないことが判明した。)。

そうすると、【4】項中の土佐山田町栄町の田一六〇坪の原告太郎に対する贈与及び【5】同町の田一五三坪の原告三郎への贈与は、原告太郎らの供述するように全く出鱈目であるどころか、むしろ真実であることの可能性がかなり濃厚であると考えられる。

ⅱ 現金三〇〇万円の贈与について

被告は、昭和六三年夏ころ、尚次が、同年一月に南国市に売却した南国市小篭字山際五五番イ及びロの各土地の代金〔甲二三号証の三〕の中から現金三〇〇万円を原告太郎にやるというので、被告が自動車で尚次を原告太郎方まで送って行き、その眼前で、尚次が右三〇〇万円を原告太郎に交付して贈与したことがある旨供述している。

そして、この点については、原告太郎も、同本人尋問において昭和六三年ころ、被告が、原告太郎に二〇〇万円、同原告の娘に一〇〇万円ということで合計三〇〇万円の金を同原告方にもって来たので、これをそのまま受け取ったことがある、そしてその約一週間後尚次に会った際、尚次は、その三〇〇万円は南国市に売却した南国市小篭字山際五五番地イ及びロ所在の建物の代金〔甲二三号証の二〕である、原告太郎にやる分が少ないから今回その金をやったと語っていたと供述しているのである。

そうすると、右被告の供述と原告太郎とは、三〇〇万円の出所や交付の趣旨・態様等において若干の食い違いはあるものの、昭和六三年ころ原告太郎が尚次から現金三〇〇万円を贈与されたという根幹部分では一致しており、かつ、これは【4】項中の三〇〇万円の贈与の記載とも符合するところであるから、同項の右記載は、虚偽であるどころか、基本的に真実であると認められる。

(2) 本件遺言【5】項(原告三郎関係)について

ⅰ 土佐山田町栄町の田一五三坪の贈与について

前3(二)(1)ⅰにおいて認定・判断したとおり、その記載内容は真実である可能性がかなり濃厚である。

ⅱ ダンプ代金五〇万円の贈与について

ダンプカーの購入代金として五〇万円を要したことは原告三郎も認めている。

しかし、この金の調達先について、原告三郎は、(a) 陳述書〔甲三号証〕中では、「頭金一〇万円は父(尚次)が出しましたが、残りは私が分割で支払い完済しました。」と陳述していながら、(b) 第六回期日の本人尋問第一三項では、「五〇万円全額を母から借りて支払い、その後母には全額返済した。」旨供述を変更し、(c) 更に、同第五一項では、「母が金を出してくれたということは、結局父尚次から金を借りたのと同じことである。」旨認めるに至ったが、(d) 第七回期日における本人尋問において、右のような供述の変転を指摘されるや〔第五四項〕、今度は、「一〇万円を父から借りていた。」旨再び供述を変え、(e) 同期日第五八、五九項では、またも「五〇万円を母から借りた。」と述べるに至っている。

右に見たとおり、この点に関する原告三郎の供述は、変転著しく、かつ、非常に曖昧であって、到底信用することができず、反面、【5】項中の該当部分は、ダンプカー代金を正確に把握していることや右にような原告三郎の供述態度に照らすと、むしろこちらが真実ではないかと考えざるを得ない。

ⅲ ハイヤー代金一〇万円の贈与について

原告三郎は、ハイヤー代金が一〇万円であったことは否定しないが、概ね一貫して、これは妻の父に買ってもらったものである旨供述している。

しかし、原告三郎の右供述には、これを裏付ける証拠が全くないことに加え、このハイヤーを何に使用していたのか、そしてなぜ父母に頼らず、わざわざ妻の父に買ってもらったのかなど疑問とすべき点もあり、同原告の右供述のみをもって【5】項中の該当部分を虚偽であると決めつけることはできない。

ⅳ 喫茶店建設の鉄骨代二〇〇万円の贈与について

この点につき、原告三郎は、(1) 陳述書〔甲三号証〕中では、「鉄骨代は私が国金から借り入れたもので、私が分割で支払いました。」と陳述し、(2) 第六回期日における本人尋問〔第一五項〕でも、「この喫茶は、国民金融公庫から七〇〇万円借り入れて建てたもので鉄骨代金もこの金でまかないました。」と供述していたが、(3) 第七回期日における本人尋問〔第四二項〕では、一転して、「鉄骨は親戚(サカタハルシゲ)からただでもらい、溶接と組立を栄町の下元鉄工所でやってもらいました。」と供述を変更し、(4) 更に、右国金からの借入れ分の返済についても、「農協から国金に立て替えてもらい、土地を売って農協に払いました。」〔第六九〜七一項〕と供述を変えるに至っている。

確かに、客観的証拠〔甲九号証及び甲三八号証の一〕によれば、原告三郎が昭和五七年一一月二九日に国民金融公庫を通じて環境衛生金融公庫(受託保証者―国民金融公庫)から合計七〇〇万円を借り入れ、(5)の土地やその地上の建物に抵当権を設定した事実を窺うことはできるが、(a) そもそも右借入れにかかる七〇〇万円が本当に喫茶店建設に使われたのか自体について疑問を払拭できないし(すなわち、証拠〔甲九号証、原告三郎〕によれば、原告三郎は、右借入れの直前に、妻の弟の経営する有限会社堀川土木のために(5)の土地に根抵当権を設定して物上保証に供している〔この根抵当については、約二年後に早くも競売の申立てがされている。〕上、右環境衛生金融公庫からの七〇〇万円の借入れも、妻の弟が借入れをする際一緒に借り入れたものであることを同原告は認めているのであって、この七〇〇万円も実は妻の弟の資金繰りに使われたのではないかとの疑いがある。)、また、(b) 仮にこの借入金の全部又は一部が喫茶店建設に使われたとしても、果たして鉄骨代にもこれが使われたのかについては、前記のとおり原告三郎の供述自体変転していて判然としない上、前記客観的証拠〔甲九号証及び甲三八号証の一〕からも不明であるというほかないのである。

そうであるとすると、結局、【5】項中の該当部分についても、右のような原告三郎の供述や原告側がその裏付けとして挙げる証拠のみからこれを虚偽であると断ずることはできないものというほかない。

ⅴ 三男の事故の際の三〇万円の贈与について

この点については、原告三郎も、陳述書〔甲三号証〕中で、「子供が事故にあった時、父(尚次)からお見舞い金として三〇万円貰ったことはあります。」と認めており(但し、この点についても、同本人尋問では、もらったのは三万円だけだったなどと供述を変転させている。)、虚偽の記載でないことは明らかである。

(3) 本件遺言【6】項(原告花子関係)について

原告花子は、昭和二四年二月に結婚した際、尚次にタンス・ミシン・鏡台等の嫁入り支度をしてもらったことはあるが、当時は戦後の物がないときであり、甲野家にもさほどの資産はなく、田五反歩相当の嫁入り支度などまっかな嘘であると供述している。

原告花子の嫁入り道具が現実にどの程度のものであったかについては、同原告の供述内容自体が全体として曖昧かつ不自然な部分が多く、たやすく信用できないものがある上、かえって「物資の乏しい時代ではあったが、父(尚次)は、原告花子に恥ずかしい思いをさせないように出来るだけのことをしようと、桐の箪笥・長持・ミシン等の嫁入り道具をリヤカー七台に積んで持たせてやった。当時としては立派な嫁入り道具であった。」とする被告の供述もあり、必ずしも判然としない。

しかし、仮にこれが原告花子の供述どおりであったとしても、同原告によれば〔第九回期日の本人尋問〕、その嫁入り道具の価格は合計四〜五万円程度であったとのことであるが(なお、甲四七号証〔昭和国勢総覧下巻〕によれば、昭和二七年当時の東京でのミシンの小売価格は二万三五〇〇円であったことが認められる。)、他方、当時の田の価格について見ると、原告太郎の供述によれば、〔同本人尋問七八〜八〇項、一一二項〕、同原告が昭和二三〜二五年ころ売渡しを受けたとする一反二畝二歩の広さの(6)の土地(但し、登記簿上は尚次名義で登記されており、売渡しの相手方に関する原告太郎の供述の信用性に疑問があることは前述のとおりである。)の売渡代金が一万二〇〇〇円であったというのであるから、これを基準に単純計算すれば、田五反相当で約四万八〇〇〇円程度ということになり、原告花子の嫁入り道具の価格は田五反相当の価格と概ね釣り合うことになる。

もとより、尚次が現実にどの田を念頭に置いて「田五反歩相当」と述べたのかは今日ではもはや不明というほかないが、尚次が、原告花子の嫁入りとほぼ同時期に買い受けられた前記シオクサリの田((6)の土地)を基準に考えていたとしてもあながち不自然なことではないし、「田五反歩相当」の価格を考える上でこれが有力な資料となることを否定することはできない。

そうすると、もはや現段階では、原告花子の嫁入り道具の価格や「田五反歩相当」の価格が現実にどのようなものであったのかを認定するに足るだけの客観的資料は存せず、両者が均衡しているか否かを厳密に判断することはできないが、前述のような検討結果によれば、【6】項の記載内容も、「当たらずといえども遠からず」という程度の真実性は有しているものと思われるのであって、それが原告花子の言うように「まっかな嘘」などと断じ得ないことは明らかである。

(4) 本件遺言【7】項(四郎関係)について

証拠〔原告太郎、被告本人。甲二四〜二六号証(乙四〜六号証)〕によれば、尚次は、昭和五五年一〇月に四男四郎に対し、同人が当時居住していた南国市小籠字八反地〈番地略〉の土地三筆(合計約二四四坪)を贈与したことが認められるから、【7】項の記載内容は概ね真実であると言える(この点は、原告太郎も認めている。)。

(5) 本件遺言【4】〜【7】項に関する検討結果のまとめ

以上によれば、本件遺言【4】〜【7】項は、総じてかなりの程度真実を反映しているものと思われ、少なくともそれが虚偽の内容であると断じ得るような記載内容は何ら見当たらないから、この点から尚次の遺言能力に疑問を差し挟む余地は全くないと言わねばならない。

4  小括

よって、本件遺言当時、尚次が遺言能力を欠いていたとする原告らの主張は理由がない。

二  争点2(民法九六九条二号〜四号所定の方式違反の有無)について

前一1(三)(四)に記載の被告や上野公証人の供述や本件遺言書〔甲一号証〕自体の記載によれば、本件公正証書遺言については、民法所定の方式に則って、口授・筆記・読み聞かせ等の一連の手続きが滞りなく行われたことが窺われ、その方式違反を問題にすべき余地はない。

なお、原告らは、尚次が、被告と相談しながら遺言内容を公証人に伝えて本件遺言を完成したから「口授」があったとは言えないなどと主張しているが、前記被告供述等によれば、尚次が、口授に先立つ上野公証人との問答の最中に被告に対し確認を求めたのは、わずかに土地の名前が宝町だったか栄町だったかという極めて形式的な点だけであり、それ以外に被告が上野公証人と尚次との遣り取りや尚次の口授に口を挟んだりすることは一切なかったことが認められるから、尚次の「口授」に何ら欠けるところはないと言うべきである。

よって、この点に関する原告らの主張も理由がない。

三  争点3(民法九七四条三号違反の有無)について

1  尚次が本件公正証書遺言を行うに際し、証人二名(起塚孝三郎、鈴木旦子)のほか、被告もこれに立ち会っていた(具体的に言えば、上野公証人役場の入口近くにある長椅子に座って、尚次が本件遺言を行う様子を眺めており、既述のとおり、尚次が行った形式的事項に関する質問に対し応答したりもした。)こと、当時、被告は推定相続人の一人であり、かつ、本件遺言【1】項によれば遺産の全部を相続させる対象ともなっていたこと、以上は証拠上明らかな事実である。

2  原告らは、右のとおり、本件公正証書遺言に際し、法律上必要とされている証人二名の立会いのほか、推定相続人である被告が事実上立ち会ったことは、民法九七四条三号に違反するから、本件遺言は無効である旨主張する(なお、原告らは、被告は本条三号所定の「受遺者」でもあったと主張するが、本件遺言【1】項に記載されているような「相続させる」遺言は一般の遺贈とは法律上の効果を異にするのであって〔最高裁平成三年四月一九日第二小法廷判決・民集四五巻四号四七七頁参照〕、「相続させる」対象となる者を右「受遺者」に含めてよいかは、なお検討を要する問題である。しかし、少なくとも被告が同号の「推定相続人」に該当することは明らかであるから、右の問題を最終的に決することは本争点を判断する上で必要のない事柄である。)。

問題は、民法九七四条は、同法九六九条以下において各種の遺言の際に「立会」を要件とされている証人又は立会人(以下、これを「法律上の立会人」という。)のみならず、各種遺言に事実上立ち会う者(以下、これを「事実上の立会人」という。)にも適用されるのか、言い換えれば、民法九七四条各号所定の者(以下、これを「欠格者」と、各号所定の事由を「欠格事由」という場合がある。)は事実上にせよ遺言の場に立ち会うことは一切許されないのかということである。これを遺言の効力という観点から見れば、本条各号所定の者が事実上の立会人になった場合には、たとえ法律上の立会人が法定員数を満たしていて、しかもその資格に何ら問題がなかったとしても(少なくとも、法律上の立会人の中に欠格者がいるため、法律上の立会人が法定員数に満たない結果となる場合には、遺言全体が無効となると解するのが通説的見解である。)、ただ事実上の立会人が欠格事由を有することの一事をもって、当該遺言の効力に何らかの問題が生じ得るのかということである。

3 この点につき、当裁判所は、本条は事実上の立会人には適用されず、したがって本条各号所定の者が遺言の場に事実上立ち会っていたとしても、そのこと自体は遺言の効力には何ら影響を及ぼさないものと解する。その理由は以下のとおりである。

(一)  まず第一に、本条の立法経過が理由として挙げられる。現在の民法九七四条は、戦後改正される以前の民法旧規定一〇七四条をほぼ同一の形で継承するものであるが(剥奪公権者、停止公権者、遺言者の配偶者が削除され、「家を同じくする」との規定が改正され現行法のような形になった。)、右民法旧規定制定当時の立法担当者は、同条の立法趣旨につき「遺言ノ効力ハ証人又ハ立会人ノ証言ニ依リテ定マルモノタルニ拘ハラス何人ト雖モ証人又ハ立会人タルコトヲ許ストキハ容易ク詐欺ノ行ハルル弊アルヲ以テ無能力者ヲ始メトシテ遺言ニ付キ利害関係ヲ有スル者其他証人又ハ立会人タル信用ヲ与フルコトヲ得ザル者ノ如キハ遺言ノ証人又ハ立会人タルコトヲ得サラシムルヲ以テ至当トス」と解説し(民法修正案理由書三三〇頁)、また、「本条ハ遺言ノ証人及ビ立会人ノ資格ニ関シ規定セリ乃チ第千六十九条(注―現行民法九六九条に相当する規定)以下ニ規定シタル証人及ビ前条(注―現行民法九七三条に相当する規定)ニ規定シタル立会人ハ原則トシテハ何人ニテモ可ナリト雖モ左ニ掲ケタル者(注―旧一〇七四条各号所定の者)ハ之ヲ無資格者トス」(梅謙次郎・民法要義巻之五〔相続編〕二九五頁)とも述べているのであって、同条が法律上の立会人の資格制限事由を定めるものとして立法されたことが窺われる。

(二)  第二に、本条各号所定の欠格事由の内容を見ても、同条が事実上の立会人の資格制限を予定していないことを看取することができる。すなわち、法律上の立会人に関しては、「証人」と「立会人」の区別について考え方の違いはあるものの(「証人」は遺言が遺言者の真意に出たものであることを証明する人であり、「立会人」は遺言成立の事実を証明する人であると解するのが通説的見解である。)、いずれにせよ、法律上の立会人はいずれも遺言の成立過程に関する事実証明の任務を負っているのである(殊に、公正証書遺言における証人について、最高裁は、「公正証書による遺言について証人の立会を必要とすると定められている所以のものは、右証人をして遺言者に人違いがないこと及び遺言者が正常な精神状態のもとで自己の意思に基づき遺言の趣旨を公証人に口授するものであることの確認をさせるほか、公証人が民法九六九条三号に掲げられている方式を履践するため筆記した遺言者の口述を読み聞かせるのを聞いて筆記の正確なことの確認をさせたうえこれを承認させることによって遺言者の真意を確保し、遺言をめぐる後日の紛争を未然に防止しようとするところにある。」〔最高裁昭和五五年一二月四日第一小法廷判決・民集三四巻七号八三五頁参照〕と判示している。)から、本条一号、二号が、このような重要な任務を遂行するにふさわしからぬ者として「未成年者」「禁治産者及び準禁治産者」を定めているのは当然のこととして理解することができる。これに対し、右のような任務を負担することなく、単に事実上の遺言の場に立ち会うだけであるならば、行為無能力者、特に未成年者がこれに立ち会ったとしても、何ら遺言の障害とはならないし、また、遺言の効力に疑問を抱かせるようなことにもならないはずである。まして法の明文の規定をもってこれを排除すべき理由は何もないと言うべきである。民法九七四条が何の除外規定も置くことなく未成年者等の行為無能力者を欠格者として定めていることは、本条があくまでも法律上の立会人を念頭に置いた規定であって、事実上の立会人についてまで適用されることを予定していないことを示唆するものと考えられる。

(三)  他方、原告らの前記主張の根拠とするところは、おそらく、推定相続人が遺言の場に事実上にせよ立ち会えば、遺言者が心理的影響や拘束を受けるし、推定相続人が不正を働く可能性もある、したがって、本条の規定は事実上の立会人についても適用すべきであるというものであろう。

確かに、本条三号が定められた理由は、立法担当者によれば、「本号ニ掲ケタル者モ亦遺言ニ付キ利害ノ関係ヲ有スル者ナリ」「故ニ之ヲ証人トスルトキハ或ハ由テ以テ自己ノ利益ヲ謀ルノ恐ナシトセス故ニ遺言ノ証人又ハ立会人タル資格ナキモノトセリ」(梅・前掲書二九七頁)というのであるが、これは推定相続人が事実上立ち会った場合にも多少とも妥当するところであるから、原告らの言い分も全く理解できないわけではない。

しかし、同じ推定相続人であっても、遺言成立の法定要件である法律上の立会人として立ち会う場合と単なる事実上の立会人に止まっている場合とでは、不正行為が行われる危険性に格段の違いがあるといわねばならない。万一推定相続人が何らかの不正を意図したとしても、同人が事実上の立会人に止まっている限りは、利害関係のない公証人や証人・立会人の存在やその行動によって未然にこれが抑止されるであろうから、現実にそのような行動に出ることは極めて困難である。また、原告らが引用する仙台高裁秋田支部平成三年八月三〇日決定・家裁月報四四巻一号一一二頁の事案のように、事実上の立会人が、言語不明瞭な遺言者の通訳を装って遺言内容の口授に介入するような事態も有り得ないではないが、このような場合には「口授」の要件自体が否定されるから、あえて民法九七四条を持ち出すまでもない(したがって、右仙台高裁秋田支部の決定が、右事案につき、受遺者でもある推定相続人が公正証書遺言の際に事実上の立会人となっていた事実を当該遺言が無効であることの一理由として挙げていることには賛同することができない。)。大阪高裁昭和三七年五月一一日決定・家裁月報一四巻一一号一一九頁は、死亡危急者の遺言(民法九七六条)の場に立ち会った法律上の立会人五名のうち二名が同条三号所定の欠格者(直系血族)であったという事案において、適格者たる証人三名が立ち会っている以上右遺言が有効であって、欠格事由を有する法律上の立会人二名が立ち会っていた事実は方式遵守の点に何ら消長を及ぼすものではないと判示しているが、これは、資格を有する法定員数の法律上の立会人が立ち会っている以上、たとえ同時に欠格事由を有する法律上の立会人が立ち会っていたとしても、これが遺言の真正成立に対して及ぼす影響は極めて小さいという考え方に基づいているものと思われるが、そうであるなら、事実上の立会人の場合には一層そのことが妥当しよう。

(四)  加えて、民法九七四条が事実上の立会人にも一律に適用されるとなると非現実的な帰結がもたらされることを指摘しておかなければならない。すなわち、民法九七四条は死亡危急時遺言等の特別の方式による遺言にも準用されているところ(同法九八二条)、仮に民法九七四条が事実上の立会人にも適用されるというような解釈をとると、例えば死亡危急時遺言の際にも同条三号所定の肉親(推定相続人、直系血族等)を遺言の場からすべて排除する必要があるし、仮に一人でもそのような者が事実上立ち会っていた場合には遺言全体が無効となる余地が出てこよう。しかし、これがまさに「死亡の危急に迫った」際の遺言であることや法律家の関与を予定されていない遺言であることなどに照らして考えても、右にような事態は非現実的で常識に反する帰結であると言わざるを得ない。

3  小括

よって、本争点に関する原告らの主張も理由がない。

第四  原告らの予備的請求について

一  予備的請求の追加と被告の異議

原告らは、平成七年一月二〇日付け準備書面(同月二四日被告に送達。第六回口頭弁論期日に陳述)において、訴えを追加的に変更して、「被告は、原告らに対し、(9)〜(11)の各土地について、平成五年四月一四日遺留分に基づく減殺請求を原因として、それぞれ一〇分の一の各持分移転登記手続をせよ。」との予備的請求を追加し、被告は、第六回及び第七回各口頭弁論期日において、右訴えの追加的変更に対し異議を述べた。

二  当裁判所の判断

原告らの予備的請求の追加的変更は、以下に述べるとおり民事訴訟法二三二条一項所定の要件を欠き、不適法であるから、これを許さない。

1  請求の基礎の同一性の欠如

原告の主位的請求は、前述のとおり本件遺言自体無効であることの確認を求めるものであるのに対し、予備的請求は、本件遺言が有効であることを前提に、遺留分減殺請求権を行使して、(9)〜(11)の各土地について遺留分に相当する持分の移転登記手続を求めるものであって、主位的請求の請求の基礎に変更を来すものと言わざるを得ないから、右予備的請求の追加的変更は不適法である。

2  顕著な訴訟遅延の招来

本件予備的変更の追加は、第六回口頭弁論期日(平成七年一月三〇日)の直前に至って初めてされたものである。

ところで、本件記録及び弁論の全趣旨によれば、当時の訴訟の進行状態は、同期日までに重要証人二名(尚次の主治医、上野公証人)と原告太郎と原告三郎の取調べを完了し、あと一、二期日程度で原告花子と被告本人とを取り調べて結審に至る状態にあった(但し、現実には、第七回口頭弁論期日に原告三郎の尋問の一部が持ち越されたこと、第八回口頭弁論に原告花子が病気により出頭しなかったこともあって、結審までに三期日を要した。)。

他方、仮に原告らの訴えの追加的変更を容認して第六回口頭弁論期日から予備的請求の審判をすることになったとすれば、遺留分減殺請求の当否を審判するためには、最低限、遺留分算定の基礎財産の範囲を確定する必要があり、そのためには尚次の相続財産の範囲と原被告らの特別受益の存否・範囲とをいずれも確定の上、これらの価額と評価を行う必要があったところ、本件記録及び弁論の全趣旨によれば、原被告間には、尚次の相続財産の範囲と原被告らの特別受益の存否のいずれについても深刻な争いがあることが窺われるのであって、まずその確定にかなりの審理を要することに加え、最終的にその価額の評価に要する期間まで含めると、なお相当長期の審理期間を要したであろうことは容易に推測することができる(もっとも、被告が主張を予定していた原告らの特別受益は本件遺言【4】〜【7】項に記載の各財産とほぼ一致しており、その点主位的請求の審理の中でもある程度その存否が攻防の対象となっていたことは事実である。しかし、主位的請求の審理において右の点が問題となったのは、既述のとおり、あくまでも尚次の遺言能力の存否という争点に関連して、その記載が全く架空の事実であったのか、それとも尚次の遺言能力に疑いを生じさせない程度に根拠を有するものであったのかという観点からであり、その意味ではその存否を終局的に決することを目標とするものではなかったのに対し、遺留分減殺請求の審理においては、特別受益の存否が遺留分算定の基礎財産の範囲を左右するところから、その存否を終局的に決することを目標として審理せざるを得ず、したがって同じ審理対象ではあってもより深く立ち入った審理が必要であったと言わなければならないのであって、その存否を判断するためには主位的請求の審理によって得られた証拠資料だけでは到底不十分であると考えざるを得ない。)。

したがって、以上見たような諸事情を総合考慮すると、前記請求の基礎の同一性の点を度外視しても、原告らの予備的請求の追加的変更を認めることは著しく訴訟手続を遅滞させるものであったから、この点からしても右訴えの変更は不適法であると言わねばならない。

第五  結論

以上によれば、原告らの請求は理由がないというに帰するから、主文のとおり判決する。

(裁判官 杉田宗久)

別紙物件目録〈省略〉

別紙相続関係図〈省略〉

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